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「サイボーグとして生きる」という本を読みました

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マズい、全然更新してなかった・・・汗
元日からほぼ2週間経ってしまったReveのブログですが、今日もネタが無くて書評ですorz
今日は「サイボーグとして生きる」という「ノンフィクション」本を紹介したいと思います。
この本は、聴覚を一度失ってしまった著者が、人工内耳を体内に埋め込むことで新しい聴覚を獲得していくまでの過程を描いた体験記です。一見すると聴覚を取り戻していくまでの壮絶な苦労とそれを克服するまでの感動物語にも思えますが、実際の文体は時にユーモアや自虐も込めながら人工内耳の使用がどういうことかを自身の体験を通じて述べたルポタージュとなっています(この本を書くに至るまでも、相当な苦労があったのでしょうが)。
この本で最初に驚くことは、やはり人工内耳という存在でしょう。
体内に埋め込む電子回路であり、耳の代わりに聴力として機能するデバイスは一昔前のSFを彷彿させるものですが、実際は1950年代から研究されて普及しつつある技術です。体内に埋め込むと書きましたが、実際は周囲の音を拾うマイクや音を処理するサウンドプロセッサーは体外に出ており、体内の装置とは磁石で接着する形になっています(この辺りの技術的な部分は付録に記載されています)。
人工内耳がまだ歴史は浅く研究が続いている分野のため、日々新しいデバイスやソフトウェアが開発されており、本書でも音声処理ソフトウェアのアップデートという経験を通して述べられています。アップデートというと性能が劇的に向上し、以前より聴覚が良くなるような印象を受けますが、必ずしもそのような効果が得られるとも限らず、以前のものとの差異に違和感を覚えたり、アップデートに慣れるまで時間がかかるといったデメリットについても述べられています。
また、著者自身だけでなく、ほかの聴覚障碍者の体験や手話コミュニティについての記述もあり、人工内耳の効果がユーザーによって異なることや、人工内耳の普及による将来的なコミュニティの変化も興味深い話でした。こういった技術の社会への影響というのは今後、日本でも起こりうるのだろうかと考えました。
そして何より、全編を通じてサイボーグとはどういった存在か、サイボーグ技術によって人間性という認識が(著者自身の中で)「アップデート」されていく過程が書かれており、それがある意味でショックを受けるものとなりました。
サイボーグというと、SF映画では「ターミネーター」や「ロボコップ」などが有名ですが、本来は電子回路とソフトウェアによる制御によって生体機能や感覚器官を補われた人間を意味します(本書によれば、前者はロボット、後者は本来の意味でサイボーグ)。
義手や義足、ウェアラブルデバイスは生体機能や器官を直接制御するわけではないためサイボーグ技術ではなく、人体や生体機能の制御があって初めてサイボーグという存在となるのです。
また、サイボーグというものは無機質なロボットのような存在をイメージしがちですが、著者によればむしろ人間性について再考していくきっかけになったと書かれています。何故なら、(特に感覚器官において)人間の感覚というものは元来、生まれ持った目や耳などの器官を通じて得られるものであり、一人ひとりの器官はそれぞれ異なるものであるため、人が見る世界というものは感覚器官というフィルタを通じた相対的な世界であり、人工内耳というデバイスも一つの「器官」に過ぎず、それが今の自分にとっての個性であると述べられています。
最後は哲学的な話になっていきましたが、人間と機械が一体となって一つの個人を作っていく、それこそがサイボーグであると結論付けられています。
とにかく、サイボーグという存在、ひいては人間というものについての見方も変わるような本となりました。
この本は決してSFではなく、実際の体験に基づくノンフィクション本です。
ウェアラブルデバイスやサイボーグといった、人間の感覚や生活に関わるデバイスなどを研究・開発したい方にはぜひ読んでいただきたいと思える一冊でした。

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